文章を書くということ -記事批判を受けて-
この手の人はリアルでもたまにみかけます。「虎の威を借る猫」といいますか、自分を攻撃対象にさせないようにしておいて、肩書きに乗じるだけで自分の責任において発言できない人。わかりやすい例だと「社長がこう言ってるからやれ」「テレビがこう言ってたからこうだ」的な言い方をする人のこと。子供の例でいうと「みんながやってるから」というやつです。eddieが子供のときにそれ言ったら、親には「よそはよそ、うちはうちだ」ってな具合にたしなめられました。
さて、非難されている部分はこの記事のこの一文「今の不遇に不満な人たちは結局何も努力してないんです。努力もしないくせに不遇をなげいている、それをeddieは「精神的な老人」と呼びます。」
読み返してここだけ抽出してしまうと確かにひどい一文ですが、記事全体をもって主張を読みとってもらえないと、実際に不遇に不満を持っている人にとっては「カチン」と来てしまう文章なのでしょう。おそらく彼は「不遇に不満な努力をしない若者」なのかもしれません。事実を正面きって突きつけられると相手に対して怒りを感じますよね。eddieだってそうです。でもブログ(文章)だし、特定の誰かを指して言ってるわけじゃないし、主張における一部分です。もちろんリアルでこれやったらアウト!なんだけど。
ある記事を書こうと思ったときは、テーマが必要でかつ論点が必要になると思います。しかし、そこに感情を持ち込むと支離滅裂になってしまいます。会社の会議の多くがムダだといわれるのと同じ構図ではないですか?つまり、テーマはあってもあいまいで議論になれば論点がずれていって、声の大きな人や肩書きのほうが優先されていく、その構図。
eddieが書いたこの記事の主張をいくつかの短文で表現すると「精神的に老化してはいけない」「囚われてはいけない」「柔よく剛を制す」というような意味になります。体が老化して硬くなるとケガをしやすくなるし、頭が老化して固くなるとモノの見方が変えられずに、一方向からしか物事を見ることができなくなります。で、若いほど全ての面で柔軟性があるんだから、いろいろやってみたら?というのが全体の主張です。
eddieも歳をとっていくに連れてほっとけば「硬く」なってしまうので気をつけよう、というのを外向けに書きつつも、自分にも向けて発した記事でした。
人に誤解を与えないように配慮しつつ、言葉を選んで文章を書くのはとても難しいことです。語彙も必要だし論点をずれないように修正しながら書いていかなければならないからです。今回の記事批判は、おかげで記事を読み返すことになって、主張が自分の中でも再度はっきりさせることができたという意味でも大変いい勉強になりました。
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