2009年6月30日

管理職は一切不要 -メガネ21-

今日は会社をサボって撮っておいた「カンブリア宮殿」を観ました。

すばらしい!の一言につきます。

何が素晴らしいかといえば、すべてが素晴らしい。何年も会社や社会に対して抱いていた不満を見事に解消して現実にしてしまっている会社がそこにあったからです。その名は、

 

メガネ21

 

以下、番組の紹介にあった会社の仕組みですが、

  • 管理職がまったくいない
  • 購入品も3日放置でネットで自動決済
  • 新入社員面接は本部の女性社員がする
  • 社長印の押印もその本部の女性社員が押す
  • 給料・人事は社長以下全て公開する
  • 内部留保なしで社員にすべて還元する
  • 疑問はすべてネットで議論
  • 最終の採用面接は現場社員がする
  • 出資金は従業員から募る
  • 査定は適当、異論があればネットで書き込む
  • 嫌な人とは合うわけがないからギブアップ制度

本当にこの会社はすべてを公開して、悪く言えば人の心理をうまく利用していますが、よくいえば人をすごく信頼している。と言えると思います。

すべてを公開して、公開情報から従業員が自らいろいろなことを考えて、みんなで答えを出す。だから、異論は少ないし、異論も公開だから、もしその異論自体がおかしなことだとしたら叩かれるし、もしまともな異論ならば異論に同調するはず、との論理。

ネットをうまく利用した非常に巧みな経営です。従業員なら誰もが納得できるシステムです。納得できない人は異論を書き込むしかない。それが嫌なら辞めるしかないのでしょうね。非常に「クリア」な仕組みです。

正直、雇われ歴の長い年寄りサラリーマンには理解できないでしょうね。

 

私の勤める会社を含む、多くの古い体質の会社では同じようなことだと思いますが、契約ごとでは当然に社内決裁をもらう必要があると思います。その過程ですが、何社からもの業者から見積書をもらって、比較して、それを上司に説明する資料を作って、さらに何段階か上の上司にその上司が説明をして...という具合で決済をもらうのに、なんと契約日の一カ月以上前から準備しなくてはなりません。

本当に馬鹿げています。

まして、決裁印を押すのが違う部署(なぜか総務部)の部長で、契約書にハンコをもらうためだけに「押印依頼書」なるものが必要で、さらにその「押印依頼書」の文言を少々間違えたからといって、ハンコが押されずに返ってきました。結局、見積書の有効期間に間に合わず、業者には見積書を再発行してもらうことになり、書類も作り直し。価格も改定され...。

「部長のせいで会社が損失を被るんですよ!」と、もし言えば、「お前が依頼書をちゃんと書かないからじゃないか」と。それならばと「そんな書類の書き方なんて教わってないです」といえば、ごそごそと誰も見ないような古ぼけたマニュアルを引っ張り出してきて「ここに書いてあるじゃないか」となるのが「オチ」です。文句は課長にだけ言っておきました。

本当に...本当にこの会社大丈夫か?と思っていた矢先の番組視聴でした。

 

課長による査定なんて意味不明の密室だし、業務指示もほとんどないから、仕事を作って企画を出せば、質問ばかりでアドバイスなど当然あるはずもなく、あげく、「それ、早くやって!」って...。

部長は週に1回、課長と役職者を閉じ込めて半日(4時間)ミーティングです。それに課のミーティング、グループミーティングが毎週あります。30人の組織でヒラの私でさえミーティングが週に4時間。課長は週に8時間、つまり週5日のうちの丸1日分をミーティングという名の「無駄な会議」に時間を費やしています。完全に組織の「末期状態」です。

本当に課長も部長も不要だと思います。

決裁も指示も全部ネットとメールでいいと思います。以前からそう思っていましたし、それを推進して提案しているのですが、なかなか浸透しないのは、仕事(会議とハンコを押すこと)がなくなるのが怖い人たちが上にたくさんいるからなのでしょうね。会議という名の伝言ゲームで無駄な時間過ごすくらいなら、議論をオープンにすればいいと思うんです。

 

内部留保なしで社員からの出資金で資金を賄う、という発想も素晴らしいです。

今の銀行にまともに査定ができる行員はほとんどいないでしょう。なんせ、担保をとった上に、連帯保証人まで要求するなどという「○鹿」でもできるとんでもない職場です。日本に閉塞感を蔓延させ、起業の魅力を完全に削り取っている仕組みの元凶の一つです。

また、会社の持ち株会に半強制的に入れられ、1,000円だけ毎月出資していて、それ以上する気のない私ですが、一方21ではどうかといいますと、内部留保はせずに給与で従業員にすべて支払い、従業員から出資金を経営資金に回す、というその発想に驚きました。

従業員は出資に応じて査定ポイントが加算され、無能な銀行に無駄な利息を払う必要がないし、それを商品価格に反映させる。まさに「三方よし(経営者、従業員、お客様)」ですね。

 

私が会社を興すことになったら、ぜひ21のような会社を作りたいと本気で思いました。

 

2009年6月27日

マイケル・ジャクソンが亡くなりましたね。

中高の頃スリラーとかBADとかすごく好きでした。

BADは中学生の時にCDを買いました。

スリラーのPVには小学生当時、得体のしれない感動を得ました。

一つの時代が終わった気がします。

すごい、何というか、残念というか...そんな感じです。

 

スリラー

BAD

Billie Jean

Beat it

Black or white

 

ぜんぜんマイケルジャクソンと関係ないんですけど、Youtubeつながりで、

OasisのWhatever

 

 

2009年6月21日

子育てに「叱る」は禁物

今日は近所の公共施設に子供を遊ばせに行きました。少ないのですが本が何冊かありましたのでそのうちの一冊を手に取り、何気なく読んでいました。

「そ・わ・か」の法則

きれいに掃除すること...。わらって笑顔で明るくすること。感謝の気持ちを持って「ありがとう」をいつも言うこと。(それぞれの頭文字をとって「そ・わ・か」)

 

なるだけそうしようと心がけていることではあるのですが、ひとつだけ別の章でとても心に響いたひとことがありました。それは子育てでは子供を叱らないことです。

 

目上の人が目下の人を指導するときに、学校で先生に叱られたり、父親に殴られるのが普通という環境で育った私にとってこの言葉のインパクトはすごく大きかったです。著者も書いていますが、そうやって育った人は、大人になったときに子供を叱りつけて育てる、だからそうやって育った何百分の一の確率の人間は、何事かあったときに暴力にうったえる犯罪者を無意識に育てていることになると。

そして「大人」とは「大人しい」「音無し」から来ていて、英語の「gentleman」も「gentle=やさしい」からきているのであり、大人になって大声で子供を叱るなどということは世界共通で「大人とはいえない」。

 

ショックでした。始終怒鳴りつけて育てているつもりはないですが、食べ物で遊んだり、いたずらをしたときなどに、しつけのために少々大きな声で叱りつけるというのは当然だと思っていました。でも、そんな大人を見て育った子供は、悪いことをしたときには怒ってもいいのだ、という意識を植え付けていることになる、と。

 

今日からは子供を絶対に叱らないことに決めました。

 

2009年6月16日

国際社会ではなぜ日本の影は薄いのか

前回に続いて英検ネタですが、英検を受験勉強していて思ったことがあります。TOEIC受験ではあまり気を使わなかったのですが、今回の学習では特に文法に気をつけて勉強しました。不定詞や分詞構文、仮定法、関係代名詞...。ちゃんと意識して勉強すると、不思議なことに日ごろ見慣れた英語サイトの英文も違った見方ができるようになりました。

逆に言えば、今までは文法を意識することなくなんとなくやってきてしまったわけで、TOEICが600くらいで停滞していた原因はココにもあるのではないだろうか、と思ったりしました。


改めて言語としての日本語を考え直すのですが、日本語というのは主張を行うにはあまり適してないように感じます。主語はあいまいだし、述語は一番最後にくるので、話を最後まで聞かないと話者の意味を汲み取りづらいという難点があります。(ここら辺はよく言われている話)

利点は「空気読め」が通じてしまうところで、すべてを言葉で言わなくてもなんとなく通じるところです。しかしこういう雰囲気が人間関係の中でできるまで、日本人の会話が初対面の建前レベルで大変ぎこちなくなるのは、ここら辺に原因があるのかもしれません。

普通に生活していれば人前で話す機会はあまり無いですし、仮にあったとしても、結婚式のスピーチに見られるような一般人のスピーチの下手さぶりは判で押したかのようです。


方や英語ですが、はっきりと物事を主張しやすいように思います。特に物事を言い切る場面で、日本語で「私は...」「私は...」と続くと受け手が引いてしまう印象がありますが、逆に英語では「I think...」「I can ...」という感じで話し手が主張を続けることに違和感はあまり感じません。主語がない文章は無いし、「私」を隠すために「We think ...」などとすることも少ないように思います。

昨日、以前録画しておいた英語ドラマの「セックスアンドザシティー」を見ていてパーティの場面がありましたが、あちらの人はよくパーティーをやるようです。勤務先の米国法人に出張したときに言われたのも「本当にアメリカ人はパーティ好きだよ」とのことでした。ドラマの場面にもあったように、米国人は他人と躊躇無く話をすることには慣れているようですが、一方私たち日本人は、初対面の人同士のパーティなどという機会はほぼ無い上に、あったとしても何かゲームなどの媒介がなければ話をすることもないと思います。


こうした考察から日本語というのは「きわめて内向きの言語」だと改めて実感したのです。知った仲同士での会話では非常に効率的であるのですが、外への広がりはありません。方や、英語は多数の国で話される言語であるという側面からも全てを言語化する必要があります。そのため、簡単なことまで説明しなければならない冗長性があります。しかしそのためもあってか、主語述語がはっきりしている文構造から見ても、英語は「外向けに主張し易い」と感じます


日本は「国際社会で主張をしなさすぎる」という批判はよく聞く話ではありますが、それは日本語自体が「主張することに適してない、または、しにくい」といった性質をもっているためであり、「国際社会の主言語である」英語とは文の構造のみならず、言語のバックグラウンドとしてもかけ離れているためだと思います。

 

そう考えますと、樋口 裕一 氏がいう「論理的な思考」を日本語で構成するのは実は難しいことだと思います。著者の本を一冊読みましたが、内容はリンク先の記事と同様の内容でした。

私を含め多くの日本人が「主張すること」や「論理的に話をすること」が苦手だと感じていますが、それが言語体系の違いに起因するとするならば、著者の言うところの

しかし最近では、きちんと文章にしたり、口に出さないと相手に伝わらない時代になっているとも言えます。

日本人同士ならそういう「無駄な」プロセスを省略可能だったのに、諸外国との関係の比重が以前と比べて非常に大きくなってきたために、そういう「無駄」をあえてやらなきゃならなくなってしまった、というのが本当のところじゃないでしょうか。

とはいえ、一番身近な英語という外国語を理解することは、日本語の良さや悪さを理解することになると思います。このような理解は、たとえ英語で文章やスピーチをする機会は無くても、日本語による「論理的な思考」での文章力やスピーチ力を増すと思いますし、いろいろな場面で必要とされる「相手に伝える」能力は鍛えられるのではないかな、と思っています。

 

だから私はこれからも英語学習を続けたいと思っています。

 

2009年6月15日

英語学習の分岐点 -國弘流英語の話し方-

昨日は日大国際関係学部の三島キャンパスで英検2級を受験してきた。2級受験は大学3年生の時以来15年ぶりくらいだろうか。当時は全く歯が立たず、Readingもあまり良くわからなかったし、Listeningなんてもはやほとんどの問題をあてずっぽうで解答した記憶がある。たしか記録はB判定。

こんなに受験感覚が空いたのは当時の受験の苦い思い出も一因。当時の彼女と同じ日に受験して、その直後くらいに振られたから(笑)。さらに結果は彼女が合格で私は不合格。でもそんな嫌な思いは長い年月のうちにただの思い出として置き換わったが、会社も不況の影響で暇なので、英検2級合格と本命である次の英検準1級合格で、ついでに思い出も吹き飛ばしてしまおうと思い今回の受験となった。

 

さて、昨日の本番はReadingの感触は良かった。まず8割は硬いと思う。一方Listeningにはがっかりした。自信を持って解答できたのは5割くらいか。家で過去問の練習をしたら7割くらいは自信を持って解答できて採点も8割から9割だったので、本番では1割引きで7割くらいは取れるかと思っていた。でも試験後の感触は悪かった。

10秒間に判断して解答し、その残り時間で次の設問の選択文を読むことは、家で何の気なく模擬試験をした時はできたのに、本番ではぜんぜんできなかった。

本番では隣の人との距離がすごく近くて、机がゆれて気になるし、自宅ではマーク練習までしなかったのでマーク時間はとられるし、さらには隣人の行動に気をとられて、次の問題の冒頭が聞き取れず次の設問に影響する...。まさに負のスパイラル。途中で何度か気持ちを切り替えるものの、「家ではできたのに...Readingは完璧だったのに...」との後悔が何度も頭を過ぎった。

決定的なマークミスが無ければ1次合格はしているのだろうけど、Listeningに関してはなんとも後味が悪かった。

 

帰りの電車では図書館で借りていた國弘流英語の話し方を読みながら帰ってきたが、「繰り返し」勉強の不足、たくさんの教材を買って満足することに対する苦言、「聞いてるだけで~」などという簡単な学習方法などあるわけない、とほんとに痛いところを突かれ、今までの英語学習に対する自分の姿勢を全否定された気分だった。後で思い返すと英語学習に関しての分岐点になったといえる一冊となるかもしれない。結果に不満を感じた試験直後の電車であえて読むことになったことも、当日バッグに入れてきたことも運命なんだろうと思った。

2次試験は英作文をしたり、即興で英語で質問に解答したりするようだから、その対策をすることにしようと思う。

 

夕飯は魚がし鮨(流れ鮨御殿場店)で打ち上げ。まぐろがとても旨かった!!

 

2009年6月 4日

阿久根市長が再選されましたが...。

 

鹿児島県阿久根市長が再選されました。

 以前書いた記事:http://gotenba.info/blog/2009/02/post-35.html

 阿久根市長のブログ:http://www5.diary.ne.jp/user/521727/

 

私は個人的に竹原市長を応援したいと思います。

市議やマスゴミや職員や自治労や...さまざまな方面での既得権益者の皆様から嫌がらせはあるでしょうけれど、それらに対峙してきた竹原氏を見て市民は投票なさったのですから、市民のバックアップを受けた市長の改革はきっと成功することと思います。

市職員であっても、若い人たちはそんなに給料もらってないでしょうから、中堅以上の職員を既得権益層の代表として見立てようと思いますが、その対決と打破を見たいのは竹原市に投票した市民のみならず、われわれ就職氷河期以降の日本中の一般的な若年層もそうなんじゃないかなぁ、と思っています。

鹿児島にも阿久根にも何の縁もゆかりもありませんが、市長と既得権益層との対決は大変興味深いです。遠く御殿場からですが、動向を見守っていきたいと思います。

 

2009年6月 1日

箱根で日本人であることを実感

昨日は我が家のお祝いで箱根の温泉旅館に行ってきました。日帰りプランでお風呂に入り、懐石をいただいてきました。

ところで御殿場からの道はすいていて拍子抜けするほどでした。一般道で1時間くらいでしょうか。あまりに近いのに改めて驚きです。

こんなに近いのに年に1~2度ほど訪れるのがせいぜいです。最近ですとユネッサンに子供をつれていったのと、ポーラ美術館に行ったくらいでしょうか。

 

日本にいると日本人は日本のよさってわからないんだろうなぁ、って思いますが、箱根が日本の代表だということが外国人の目を通してわかる、という一シーンがありましたのでご紹介します。

先日テレ朝系列の音楽番組、ミュージックステーションを見ていました。ゲストで、グラミー賞を2回受賞の大物アーティストであるGreen Dayにたいして、タモリさんが「日本の好きなものは何ですか?」との質問をしました。メンバーの一人が「イズ、ハコネ、ロマンスカー」と答えたのが印象的でした。

 

温泉宿に話を戻しますが、当日お風呂で中国人二人組みに遭遇しました。なにやらガヤガヤと大声で聞きなれない言葉でまくし立てる二人組みの声は、風呂の端から端まで通るくらいでした。私はもうすぐ出ようかな、と思っていたところだったので助かりましたがアレはいただけません。

ただし、中国人の全部がそうではないことを付け加えておきます。以前泊まった宿では子供が騒いでいるのを「シーッ」と静かにするようにしつける中国人(日本の会社の社員旅行できていた模様)を見て、公共の場所での振舞いをわかっている中国人もいるのだなぁ、と思ったりもしました。しかしやはり、公共マナーの常識を理解している中国人は少ない気がします。公共の場で外国語で大声で話をする中国人は多いのですぐわかります。

こういうことを言うと中国人というだけで差別している、などという人がいると思うのであらかじめ反論しておきます。まず、他国の情緒を味わいたいのなら、他国の文化や慣習を理解すべきです。それができないのなら文化に触れようとなんてしないほうがいいし、ビジネスでだけでお付き合いすればいいと思います。これは逆(日本人が外国に行った場合)もまた同様だと思います。

 

公共でのマナーを守れない人を受け入れないのが日本人だと思います。ですから同じような振る舞い(公共の場で大声で話をする等の迷惑行為)をすれば、同じ日本人であっても同様に白い目で見られることは言うまでもないです。

温泉(露天風呂)は、お湯の流れる音や、鳥のさえずりや、葉のかすれる音などを静かに楽しむ場所です。外国人が箱根を良いと思うその雰囲気は、そういった公共のマナーを訪れる客みんなが守ることで初めて成り立つものだと思います。同様に「あ・うん」の呼吸のような細かな心遣いの接待も、うるさい雰囲気の中からは絶対に生まれません。

箱根の温泉情緒は、こうした静かな日本人の特性が生み出した特殊な文化なのかもしれません。

 

こう考えてみると、日本人というのはやはり特殊な人種なのだと思います。周りを見渡すとグローバル化に適応できる人は少ないと思いますし、多くの周囲を見渡すかぎり、今後も適応するつもりもあまりないように見えます。日本人は海外でも自己主張をしなさ過ぎで、ビジネスでは大変な損を被っていますから余計です。

そして幸か不幸か、今回の金融不況での日本が受けた傷は世界でももっとも浅く、早くも経済が復調しそうなこともあり、ますます外国語で自己主張をするというようなモチベーションは見失われたのではないかと考えます。一部では「鎖国」なんてことを言い出す人もいるようです。


しかし、個人的には英語がグローバルな言語であることは今後も変わらないと思います。だから今後も英語は勉強し続けるつもりですし、子供にもバイリンガルを目指して(できればトリリンガル)ほしいと思っています。日本の特殊性を理解したうえで、国内では日本人らしく静かに、外国では外国語で堂々と立場を主張をする。そんな日本人が増えてほしいな、と思います。

私はそんな日本人を目指しています。

 

懐石、本当においしかったなぁ...。また行きたいです、箱根。